山本和範の漫画の主人公みたいな生き方にあこがれる
最高の起伏!ドラマでしかないプロ野球人生
僕がもっとも尊敬しているアスリートの一人が、元近鉄バファローズの山本和範さん。この人はマジでやばい。漫画の主人公そのまんまみたいな熱い人生を送っています。
高卒後に近鉄バファローズに投手として入団するも即投手失格となり野手に転向。しかし結果を残せず解雇。しかしここで諦めることなく、バッティングセンターに住み込みで働きながら現役復帰を目指す。
そこから南海ホークスに入団、頭角を現して一軍に定着し、主軸として活躍。球団身売り後もダイエーホークスの中心選手として活躍。しかし高年俸とケガを理由に解雇。このときすでに38歳。
しかし現役への執念を燃やし、かつて解雇された近鉄バファローズへ加入。ここぞという場面での切り札としてチームに貢献する。
そして1996年、38歳にして初めてファン投票でオールスターに出場。出身地であり、かつて在籍していた南海ホークスの後身のダイエーホークスの本拠地である福岡ドームで見事なホームランを放ち、MVPに選出。
時は流れ、現役最後の年となった1999年。シーズン最終戦で一軍に昇格すると、またも福岡ドームでのダイエーホークス戦に先発出場。この年ここまで14勝無敗という圧倒的な成績を残していた篠原貴行から劇的なサヨナラホームランを放ち、バットを静かに起きました。なおこの最終打席でのホームランが、通算1400本目の安打でした。ちなみにプロ初打席もホームラン。
忘れられない西武ドームでの試合前のワンシーン
僕は近鉄バファローズの熱烈なファンで、自宅から比較的近い西武ドームの近鉄 – 西武戦をよく観戦していました。
おそらく1997~1998年くらいの時期なのですが、ある日の西武ドームの試合前、グラウンドにいた山本さんと客席にいた子どもがキャッチボールをしていたんです。すごく印象的なシーンで、あの人の優しいキャラが感じられて、今でもずっと消えない記憶です。
今にして見ると、通算打率0.283、通算OPS0.821と、数字の上でも一流だったんだなと再認識。
生まれつき難聴だったり、高校時代に単位不足で留年していたり、早世した津田恒美さんと親交があったりと、ドラマチックなエピソードが多すぎですね。
諦めないことの美学を知りました。そしてこんな熱い人が近鉄バファローズにいたことが嬉しい。